救世主はいなかった。(blog)

2015/07/01

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救世主を求めて生きて来た。

「強く諭されたい」と願ってきた。

反論できないくらいに、説いて欲しかった。

そのことこそが、私の救いだった。

分かって欲しいと願っていた。

と同時に、

「分からない」と言われてきた。

救いたいという思いは、優しさからだと思った。

ただ、どれだけそれを注ごうとも、どれだけその人を愛そうとも、

それを感じない人は、感じない。

傷を負い、感情を失った人間には、届くはずがなかった。

全ての依存がそうだとは言わないが、共依存は、対等ではない関係に陥りやすい。

確かに、共依存は、一見とても美しい。

母に無償で愛されているような安心感があり、

と同時に息苦しい。

身動きが取れないのに、何故だかとても安堵する。

その一瞬の快楽の為に、依存を求める人もいる。

依存とは、愛のように見えて、本当は、愛でも恋でもない。

その相手を見ているようで、自分のことさえも見えなくする。

「共依存でも良いじゃないか!対等な関係じゃなくても良いじゃないか!」と言う人もいるだろう。

だけど、「救う。」「諭す。」ということこそが、上から目線、

つまり、上の立場に見える人が、下の立場に見える人にすることだ。

上下関係、対等ではない関係には、

暴力や、パワハラが起きやすい。

安心できるはずの日々が脅かされ、

自主性が損なわれる。

アイデンティティを奪われる。

私はそれを知ることとなった。

今でも私は、救世主を求める時がある。

その感情が、間違っていたと分かっているのに、

もしかして、今度こそは違うかもしれない・・・という淡い期待を抱いてしまう。

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